
“Parlar cantando”(パルラル カンタンド)は2020年に発足しました。イタリアとドイツの歌曲について、〈聴く楽しみ〉、〈歌う楽しみ〉を1人でも多くの方にお届けしたいと願って、
演奏会やレッスンの企画・実施を行っています。
歌曲は、歌い手とピアニストの2人で演奏することが多く、オペラに比べて、ずいぶんと規模の小さなものです。オペラは広い舞台に多くのソリストと合唱、時にダンサーも入り、オケもあります。他方、歌曲は、ピアノさえあれば演奏が可能な気軽さがあります。
歌曲の多くは、文学としても価値の高い詩を伴っています。ダンテやゲーテの名は、聞いたことのある方もいると思います。詩は、紙に印刷された文字に過ぎませんが、読む人によっては、頭の中にものすごく豊かな映像が浮かんだり、心には特別な感情も湧くかもしれません。そうした詩に音楽がつけられると、とたんに詩は、私たちにとってリアルなものとなり、まるで肉体を与えられたかのように、空間に現れます。バルコニーで愛を叫んでみたり、魔王が追いかけてきたり、悪口を言ってくる人にはちょっとだけ悪さをしてみたり・・・・・・。
“Parlar cantando”は、「イタリアやドイツの歌曲を楽しみたくても、楽しみ方が分からない」「言語の壁があり、十分に楽しめない」という方が1人でも減り、歌曲を〈聴く楽しみ〉、〈歌う楽しみ〉が広がっていってほしいと願って、イタリア歌曲を専門とする森田学、ドイツ歌曲を専門とする石崎秀和、歌曲伴奏を専門とする小田直弥の3人で活動を開始しました。
私たちの演奏会では、
字幕や対訳を含む配布資料を充実させるほか、
トークをしたり、アンケートを通じていただいた質問にオンライン上で回答したりすることで、
初めての方でも楽しむことができ、慣れている方はワンランク上の楽しみ方ができるよう、工夫して実施しています。最近では、
学校活動の一環として、生徒さんが参加くださることも増えてきました。
詩を読むことも、音楽を聴いたり歌ったりすることも、それをただの文字、音として捉えるのではなく、私たちの想像力が働き、そこに「私はこう感じた」「僕にはこう見えた」が生まれてきたとき、歌曲の、本当の価値に触れられるように思います。それはまるで、子どものとき、ただの白い雲が、魚にも恐竜にも見えたように・・・・・・。想像力は、子どもだけのものではありません。AIとの共生が日常化する今日においては、人間にユニークな力とも言われ、改めて注目されるようにもなりました。
「歌曲は、現代における私たちの生活を豊かにしてくれるのか」、この問いへの答えは分かりません。ただ、デジタル中心で、生産性や合理性が追求される現代において、アナログで、人の温度を感じる作品や演奏家のつくり出す音は、人間が、人間として生きることを、対比的に気づかせてくれるように思います。ずっと昔に、こんなバカな人がいたのか、こんなにも愛おしい感情があったのかという気付きは、心がより豊かになっていく実感そのものかもしれません。
「多分、歌曲は私たちの生活を豊かにしてくれる」、そう信じて、今後も可能な限り、様々な地域で、歌曲をお届けしたいと考えています。