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石崎秀和 Hidekazu Ishizaki
森田 学 Manabu Morita
小田直弥 Naoya Oda
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【アンケート回答】第3回 歌曲コンサートの今 イタリア・ドイツ歌曲コンサート~歌物語の世界にようこそ~

改めまして、東京学芸大学公開講座「歌曲コンサートの今」にご参加くださり、誠にありがとうございました。
その際にご協力いただきましたアンケートにて、質問をお寄せいただきましたため、6つの質問について、回答をします。
質問1:ドイツ歌曲とイタリア歌曲の特徴や、違いについて教えてほしいです。
石崎:ドイツ歌曲にはイタリア歌曲同様、多種多様なスタイルがあるのですが、一番に感じるのはドイツ語の「詩」におけるリズム体系と、言語性から来る子音のインパクトでしょうか。また、「詩」と「音楽」が密接に絡み合っているという印象を持ちやすい作品が多いとも感じます。特に我々になじみがあるのは、シラーの詩による「歓喜に寄せて」(おなじみのベートーヴェン『第九』)や、今回演奏したゲーテの詩による「魔王」、そして「野ばら」などが挙げられるのではないでしょうか。
森田:イタリアの歌曲について私が考えていることをお答えします。イタリア語の歌の最大の魅力のひとつは声であるように、イタリア歌曲では頭で理解すること(capire)よりも、身体で感じたり、体験・経験すること(sentire, provare)に重きを置く傾向にあります。聞き手が歌の世界に自然に──違和感を感じることなく──身を委ねることができるような作品が多いと思います。もちろん理解することが求められる歌曲もあります。いずれにしても、一見単純な流麗なメロディを歌いあげた曲であっても、歌の歌詞にはイタリアの思考や感情の歴史が刻まれているので、どのような時代に、どのような相手に向けて書かれたものかを知ることで、新たなイタリア歌曲の魅力を発見できるはずです。
小田:ドイツ歌曲とイタリア歌曲の伴奏について、ものすごくざっくりと僕の考えていることを回答させていただくと、ドイツ歌曲の場合は、詩の韻律(リズム)と、韻律の向かおうとしている方向(エネルギーのようなもの)を生き生きと表現すること、また詩の内容がピアノの音として具体的にあらわされることが少なくないため(馬の駆ける足音、鈴の音、心のざわざわ感等)歌い手の表現にリアリティが加わるように空間デザインをしていくことが求められるように思います。イタリア歌曲の場合は、なんといっても旋律が自由になるように表現することが求められるように思います。「自由になる」というのは、ものすごく説明が難しいのですが、「偉大なものは最もシンプルなものである」というフルトヴェングラーの言葉を思い出すと、なんの違和感もない状態とも言えますし、他方で、演奏の世界は、多くの場合は念ずれば叶うような単純なものでもありませんので、和声進行や、詩や音楽のリズム、歌い手の息の流れ等、必要な要素がすべてストレスなく、無駄なく、調和することで実現した結果が「自由」なのではないかな?とも思います。
ドイツ歌曲のようにイタリア歌曲を弾くと、僕の感覚としては、風が吹かない感じがしますし、逆にイタリア歌曲のようにドイツ歌曲を弾くと、樹のように、大地とつながっているような感覚が得られない感じがします。
質問2:プログラム作成にあたって、工夫したところを教えてください!
石崎:毎回一つの大きなテーマ(今回は「物語詩」)に沿って、各々のプログラムを決めていきます。時には主観も入りますが、リハーサルを経て、お互いの曲を追加したり減らしたりすることも少なくありません。また聴衆の立場で、「自分だったらこの流れで、このような曲を聴きたい!」と客観的に全体のプログラムを詰めていくこともしばしあります。
森田:プログラム作成にあたっては「テーマ」にそって演奏会の最後に向かって大きく流れるような選曲をしていきます。一本の道をたどるように曲を組むこともあれば、スタートとゴールの間にピースが少しづつはまっていくこともあります。また、演奏会場が日々の生活から切り離された特別な空間であり続けることができるよう、曲の配列にも気を配ります。これは石崎さんや小田さんとイメージの共有ができて、初めてできることです。
質問3:詩の意味がなかなか分からないような歌曲や、詩の作者が不祥であるような歌曲は、どのように勉強をすると良いですか?
石崎:まずは、その詩が抽象的なものや難解と感じるものの場合には、同詩人による他の作品から解釈のヒントを探してみます。他には詩を何度も音読したり、音楽からヒントを得ようとします。逆に、作者が不詳の場合は、ある意味先入観なしに詩のイメージを想起できることを楽しみながら(時には苦しむかもしれませんが)、音楽と照らし合わせて解釈を作り上げていきます。
森田:詩の意味が分からないことは私自身、今でもあります。丁寧に精読したり、何度も何度も音読してみたり。詩句に書かれていること、書かれていないこと、書かれてはいないけれど想像できることなどを整理することもあります。また、イタリア語大辞典を丹念に引いて、その語や言い回しが文学作品においてこれまでどのような使い方をされてきたのかを見直すこともあります。
小田:僕の場合は、同一詩人の他の作品を読んでみたり、その詩人とつながりがあったとされる芸術家等について調べたり、作品に触れてみたりしています。もしくは、本や雑誌記事等を通して、その詩人について詳しい人の考えに触れることもあります。
ただ、こうしたことは、詩の意味が分からない場合だけでなく、分かっているように感じている作品でも行っています。というのも、自分の思い込みで大きく異なった(もしくは限定的な)解釈をして、納得してしまっていることもありますし、「こんな解釈も可能なのか」という気付きを得ることにもつながるからです。
例えば、「魔王 Erlkönig」は、その日本語訳語から、自然に僕たち日本人は「死神」のような存在を想像するかもしれませんし、音楽の教科書でもそうした絵が描かれているので、そのイメージについて疑うことをしづらいと思います。ただ、ゲーテの魔王の成立背景をまとめた論文を読んでいると、どうやらそうしたイメージとは異なる魔王像が浮かび上がりますし、そもそも魔王というのは比喩であり、実社会の悪人もしくは悪い行いの象徴という解釈もあります。
詩の内容について、自分の中で納得のいくイメージをもつことができる、というのは大切なことですし、ある意味、その作品を取り扱う上での安心感すら覚えますが、なにか1つ、納得できるイメージに到達したとしても、それ以外の可能性を忘れずに、その作品といつでも新鮮に向き合っていきたいなと個人的には思っています。
質問4:ドイツ詩のHebungとSenkungは、歌唱する際にはどのように処理するのでしょうか?また、イタリアの場合の長短アクセントについても、歌唱時の処理の仕方を知りたいです。
石崎:言語化するのが難しい内容ですが、歌唱における一面として、Hebungには重きが置かれて、Sekungは抜く、というイメージがありますが、例えば、発声的に実際にSekungを抜いて歌ってしまうと、かなり凸凹な歌唱となってしまう恐れがあります。誤解を恐れずに書きますと、Hebung、Senkungともに腹圧キープは一定にしておき、Hebungのみを加圧する認識で私は歌っています(機会があれば、実践したい内容です!)。話すスピードや話している時の感覚を、そのまま歌えるようにするための技術的な擦り合わせという認識でしょうか。
森田:イタリア語でいえば、アクセントや母音、音節に長短の違いはありません。少なくとも意味の違いに関わらないため文法的には違いを扱うことはありません。また、イタリア語は等価音節言語のため、ネイティブは長くする・短くするといった意識は通常は持っていません。一方、日本語ネイティヴの私たちは「おばさん」と「おばあさん」、「小野さん」と「大野さん」など、母音の長短は意味の違いに大きく関わるため、鋭く聞き分ける力があります。そのため、開音節にアクセントが落ちる場合などで、母音が長くなっていると認知します。確かに、イタリア語は強勢アクセントですが、実際には長短や高低も有機的に関わっているため、正確なデータを取れば長くなっていたり、短くなっていたりすることもあるでしょう。歌唱時の処理の仕方でいえば、話している時の延長線上で処理することが基本なので、詩句を意のままに声にする練習が大切です。
質問5:アンコール時は字幕を付けなかったのですが、その理由はありますか?
石崎:明確には決めていませんでしたが、今後「アンコールにも字幕をつける」「字幕はつけないが、始めに簡単なあらすじを述べてから歌う」「対訳を終了後に配布する」など様々に検討していきたいと思います。
森田:アンコールに字幕をつけなかった特別の理由はありません。リサイタルの慣習に流されてしまったと気付かされました。鋭い質問、ありがとうございます。ことばに注意を払っていただき嬉しいです。
質問6:parlar cantandoが目指しているゴールについてお伺いできればと思います。今後、どのような取組を実施したいですか?
石崎:ストレートな表現で恐縮ですが、「歌曲」を通して、皆さんとつながり、様々な化学反応が起こってくれることを夢見ています。個人的には、心底好きな「歌曲」というものを皆さんと共有しながら、「このような世界があるのか」「まだまだ知られざる名曲がたくさんあるのか」など喜びを分かち合いたいと思いを強く持っています。そのために、歌曲講座を開く、演奏会を催す、公開レッスンを行う、などあらゆる方法で皆さんとつながっていきたいと思っています。
森田:「Parlar cantando」のゴールは、ホームページにもあるように、私たちの歌を介して「歌曲が私たちの生活を豊かにしてくれる」ことがより多くの人に実感してもらうことです。話しているのか、歌っているのか、はたまた何語を口にしているのかを聞き手である皆さんが意識することなく、歌曲に刻まれた記憶や体験を共にしていた、と思えるような演奏会作りをめざしています。みなさんにとって歌曲が、相手が大切にしていることが少しわかった時の喜び、相手の感じていることに共感できた時の心地良さ、分からないことだらけだけどなぜか惹かれる相手のことをもっともっと知りたいと欲するような存在になるようなお手伝いができれば理想的だと思います。
小田:個人的には、歌曲を聴くこと、歌うこと、知ることを楽しいと思える人が1人でも増えてくれるといいなと思っています。そのためには、魅力ある演奏会の企画・実施に加えて、レッスンや講座、学校訪問など、地域を問わずに、様々なアプローチをしていきたいです。そして単発で終わるのではなく、時間をかけて、それぞれの地域や団体等と、信頼関係を築いていければ最高だなと思っています。
それは、僕たちだけでは叶いませんため、そうした機会がありましたらば、どうかお気軽にメッセージをいただきたいです!みなさんとのコラボを通して、少しずつ、輪が広がっていくといいなと思います。
また公開講座でお会いしましょう!
感謝を込めて。
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