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石崎秀和 Hidekazu Ishizaki
森田 学 Manabu Morita
小田直弥 Naoya Oda
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【アンケート回答】第4回 歌曲コンサートの今 イタリア・ドイツ歌曲コンサート~ノスタルジアへの誘~

改めまして、東京学芸大学公開講座「歌曲コンサートの今」にご参加くださり、誠にありがとうございました。
その際にご協力いただきましたアンケートにて、質問をお寄せいただきましたため、8つの質問について、回答をします。
 
質問1:歌曲って意外にもドラマチック!演出のための曲じゃないから?
石崎:そうですね。ドイツ歌曲の例で見ますと、ベートーヴェン「君を愛す」やシューベルト「楽に寄す」など、学校の教科書に載っている曲=ドイツ歌曲の代表格というイメージがあるかと思いますが、もちろんドイツ歌曲の中でもドラマチックな曲は数多くあります。特に物語調の「魔王」のような歌曲ですと、まさにそう思いますよね。
 
森田:オペラのように舞台装置や照明、衣装はありませんが歌曲の中にもドラマチックな曲がけっこうあります。今回の「慰め」のような複数の曲がワンセットになったものだとじっくりとドラマを楽しむことができますよね。
 
質問2:J-POP風に言う"詞先"が多いのだろうけど、"曲先"はないのだろうか?
石崎:私の知る限り、クラシックの歌曲においては「曲先」の作品は見当たらないですね。しかしコルンゴルト「ドゥシュニッツ家のフォアグラ」というコミカルで即興的な歌曲がありますが、これはひょっとしたら「曲先」かもしれません。
 
森田:私たちが主にレパートリーとする歌曲ではほとんどが「詞先」の作品になります。数は多くありませんがレスピーギが作曲した歌曲「霧  Nebbie」は音楽が先に出てきたと言われています。
 
質問3:詩に含まれるノスタルジアは共感できたが、作曲家がノスタルジアを中心に作曲しているかについては疑問を感じる部分があった。作品のテーマを聴衆に固定させる意図はないと思うため、1つの意見でしかないが、楽譜上におけるフェルマータやrit部分、奏者によるできる「間」は深く影響しているように思えたため、本日の出演者のご意見を伺いたい。
石崎:「さまざまな形」で現れるノスタルジアの要素が含まれる作品の演奏においては、仰る通り、「間」(特に後奏)にそれが現れるよう演奏しました。
 
森田:まさに「開かれた作品」の醍醐味だと思います。今回のプログラムでも作品を演奏することで、私たちの中にノスタルジアが湧き起こるように演奏しました。
 
質問4:曲によって歌唱法が違うのでしょうか
石崎:歌唱法は特に変えていません。しかし、(演奏者が感じうる)各々の曲に求められる空間によって、それを埋める声の熱量(それに伴った音量)は必然的に変えています。例えば、シューベルト「菩提樹」とシェーンベルク「感謝」の曲の中で求められるフォルテには明らかな違いがあります。
 
森田:曲によって歌唱法(基本的な声の出し方、身体の使い方)が変わるということは個人的にはありません。とはいえ、感じ方や息遣いが変わることはもちろんあるので、それを表現するために適したテクニックを使い分けることはあります。
 
質問5:練習の裏話なども聞きたかったです
石崎:歌い手とピアニストが、まずそれぞれに思い描いているイメージを具現化して、初合わせに臨みます。それが回数を重ねていく中で化学反応を起こし、最後のリハーサルには、初合わせとは良い意味で全く異なった世界を、いつも大切に、そして楽しみながらリハーサルを行っています。
 
森田:最初に作品を徹底的に言語化して、作品に見ているもの、作品から感じるものなどを共有します。それと同時にイメージを固定化しないことも大切にしています。毎回自分勝手に演奏するのでもなく、決まった表現に陥るのでもなく。個人的にはこのバランスを大切にしています。
 
質問6:今回はノスタルジアについて、イタリア・ドイツ語からのアプローチでしたがご研究の過程で国や言語の違いやまた日本人としての感覚に違いを感じたことはありますか?
石崎:ドイツ語と日本語では、その言葉の持つ感覚やニュアンスが明らかに異なっています。そのため、ドイツ語のままでニュアンスを捉えようとしますが、これは経験則によるものもあるかと思いますので、とにかく沢山ドイツ語、ドイツ歌曲に触れて、それらを再現しようと常に心がけています。
 
森田:最近では国で言語を捉えるよりも、イタリア語の歴史に中で言葉がどのように紡ぎ出されてきたか(思考の歴史)を意識するようになりました。イタリア語の歌を歌う時には、詩句を日本語に訳して考えるのではなく、イタリア語のまま理解したり感じたりするようにしています。これがなかなか大変ではあるのですが、語るように歌うためには必要不可欠だと考えています。
 
質問7:言葉は変化するものだと思いますが、時々ついていけないことがあります。エモいもエモーショナルと言ってくれれば分かりますが、略すととてもうすっぺらに感じます。それは感性の違いでしょうか。時代の違い?
石崎:非常に共感できます。時代性によるものなのかとも思ったりします。恐らく同じような形で、私たちの世代が使用していた言葉も、一世代上の方々からすると、何だそれは?と思っていたのではと推測します。個人的には、やはり「エモい」はまだ完全に理解できていません(エモーショナルという単語に対するイメージが強すぎて)。
 
森田:仕事がら若い人たちと接する機会は多いのですが、私自身、きっと言葉に対する感覚の変化についていけない代表だと思います。最近では無理に分かろうとせずに、その言葉をどのように使っているのかを体験するように努めています。とはいえ、「その使い方、違います」と思われてそうですが・・・
 
小田:エモいも、ナウい(1980年頃?)も、時代は違えど、10代~20代の人が生み出した言葉なんじゃないかなと思うと、いつの時代も、新しい言葉を生み出す世代から年齢的に離れると、その感覚の違いに困惑するのかもしれません。ワンチャン、メロい、キャンセル界隈など、僕もよく分かりません。
 
質問8:イタリア語でもドイツ語でもオペラ歌手の声はマイクを使用しなくてもなぜ遠くまで響くことができるのでしょうか?
石崎:ざっくりとなってしまいますが、まず大きい声を出すことをせず、声帯の振動で生まれる音(喉頭原音)を喉の奥の広さや舌、あごなどの位置を調整して共鳴させて、ホールに充分響くようにしているからです。
 
森田:喉頭原音(声のもと)をいかに共鳴させるかにかかっています。圧縮した息をコントロールすること、決して大きい声を出そうとしないことなども重要です。
 
 
また公開講座でお会いしましょう!
感謝を込めて。
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